臆病なカーレッジくん

 

 

夢を追うということがいつの頃からか恥ずかしくなっていた

果敢に挑んで夢を手にしてきた昔の私は今はどこにもいない

今の私はその結果に脅え、努力に脅え、動けない人間となった

 

努力は実らない、成功するとは限らない、これらのネガティブは私に染み付き離れなくなった

夢、この言葉を聞くだけで時に吐き気を催し、震えるようになった

しかし今この文章を書こうと思ったのはそろそろ私が夢に向き合わなければならないと思ったからだ

周りから見たら簡単に叶えられてしまう夢も私には叶えられなくなってしまった

腹を括って挑んでも、途中で本当に腹を斬る勇気はなくなってしまう

意気地無しの根性無しなのである

 


でももし、こんな恥ずかしいことを言うのは恐ろしいけれど、もしも、私が次に夢を叶えることができたのなら、私はほとんど全てのことから解放されるはずだ

 

 


なんだか熱い文になっちゃって恥ずかしい

書いてるそばから消したくなる言葉ばかり、見たくないブログになっちゃった

有言実行が怖くて出来ないからこれは小さな宣言

匂いと記憶

今日はあの日だ、って匂いでわかる日がある

何百球、何千球と打ったテニスコートでの風の匂い、肌で感じる温もりが同じ日

その日の練習風景が蘇る

 


さっき窓を開けたら合宿の匂いがした

雨と温度とじめじめと、

似ている

同時にいろんなことを思い出す

 


こんな日がたまにある

たまに思い出す

帰りたいのとは違うけど

 

こうなるのは分かってた

何度繰り返すんだこの愚か者

見える落ちていく未来に怯えながらその通りに進むことになんの希望があるのか

挑戦という行為をいい思い出にして持ちすぎていたのかな

私はこれ以上耐えることが出来ない

できるけど長くはない

 

もう死ぬには十分な理由があるでしょう

愚行と避難する人間は私を助けてはくれない

 

 

小学生編 身長は後ろから2番目

 

小学生の時、ジャポニカ学習帳の表紙の写真がオカピでその動物を初めて知った。動物なんて地球上に山ほどいるけど、小学生の私は自分の知らない動物はもういないと思っていたからオカピが現れた時は驚いてしまった。そうして隣の席の岡くんにオカピというあだ名をつけて、そのあだ名はあまりの可愛さからクラス中に広まった。なんでオカピなの?と誰かが言えば、私は得意げにオカピのことを説明した。

 

後に私はオカピから秘密話を聞かされる。

半分死

 

昨日ハムが死んだかと思った。

ハムを持っていたら噛まれて咄嗟に飛ばしてしまったのだ。仰向けになってハムは動かなくなった。ショックで心臓が止まったのかと思って咄嗟に揺さぶったら動いてることが確認できた。おそらく驚いてフリーズしていたのだと思う。その後はいつも通り走り回って餌を食べていたから骨などにも異常はないと思う。私は心臓が止まりそうになった。殺してしまったと思った。一瞬で不安感が押し寄せてそれは恐怖だった。あの動かなくなった死んだような姿が頭にこびりついた。もしもあの時死んでいたら私はずっと後悔をして、ハムスターだからと周りの人はそんなに重く考えずしょうがないよ、などと言ってくれるのだろうか。あの死なないでと願う必死さは半分死体を見なければ生まれないかもしれない。

 

私が死にたいと母の前で発狂したとき、死んじゃやだと強く掴まれたあの時はどうだっただろう、私は半分死んでいただろうか、あれは本気だっただろうか

 

1日経ってハムに変化がないか心配だ、人間恐怖症になってもう懐いてくれなくてもいいから健康に生きてて欲しい、私は気づかれないように餌を置き、水を換える、視界に入らないところからハムを見ているだけでいい