音痴は歌う

 

私はド音痴なんですけど、歌を救済に使うことがよくあるんですよね。

救済救済!救済?そんなもんあるかーー!!!

この前、「すくってあげる」という言葉を聞いて私の頭の中では一発で「掬ってあげる」に変換されました。豆腐をすくう感じ。!「救う」という言葉が遠すぎて思いつきもしませんでした。救いはあるのか、、あるのかね~

 

これは聞いた話なんですけど、知人が以前トラック運送のバイトをしていて、その職場の人はみんな高卒や学歴のない人ばかりで、四大の学生だった彼は先輩達から距離を置かれていたんだと。それである日、先輩達の中でも一言も口をきいてくれたことがない人と2人で福島に行くことになった。トラックを停めて何かと思えば昼食で、追いかけて隣の席で無言で食べる、という感じ。

そんな人が運転中、突然演歌を歌い出したのだと、それも小声じゃない、腹の底から絞り出すような、ずっしりと重く。彼はどう反応をしていいのか困り黙っていた。するとその先輩はボソッと言った。「俺、入ってたんだ。」ここで入っていたと言えば一つである。彼は「何をしたんですか?」と聞いた。「窃盗。」そして続けた。「それで妻とは離婚した。妻は子供を連れて福島へ帰ったんだ。」そこで会話は終わった。つまりそういうことだ。歌い始めた時、トラックは福島へ入った。福島と書かれた標識看板を見て歌わずにはいられなかったのだ。歌わなければ精神がめちゃくちゃになりそうだったのだ。

めちゃくちゃに耐えるために歌は必要なのだ。

昔っから歌はそう使われてたっぽい。

万葉集なんつーのは雑歌、相聞、挽歌の部立(ぶたて)と呼ばれる3つに分類されていて、簡単に言えば、相聞は恋の歌、挽歌は死の歌をさす。(雑歌は晴れの日に歌う公的なものが多い)おお~~やっぱりな、という感じだ。恋と死に関わる歌は必要すぎる。

今の時代は音楽を簡単にいつでもかけれる機械があってよかったな、と音痴の私は思う。自分が歌うのは気が引けるから。めちゃくちゃになりそうなとき、イヤホンをつける。それでも誰もいない道で自転車を漕ぎながら歌ったりする。音痴でも気持ちがいい。

歌は救いだったんか

 

 

そういえば、曲を自動に作詞する機械があるらしくて「港」「酒場」「煙草」「女」のワード入力すると演歌ができるらしい。いい4ワードだよね。私の歌も作って欲しいこった~!