死んでくれ自分

 

昔からだんだん出来るようになるというのがあまりなかった。いきなりできることが多いかった。器用貧乏ってやつだったのかもしれない。だから努力の仕方を知っていて知らない。努力した記憶はある。テスト前には徹夜した。学年一位だった。部活も頑張った。でも頑張った分だけ、いやそれ以上の成果が出た。私はできないものは無いと思い込んだ。でも違った。私は不器用だった。継続して何かを続け、着実に成果をあげることが苦手だった。それは規模が大きくなると思い知らされ、挫折を味わった。ちょろまかしのワザは通用しなかった。人は今まで上手く行きすぎていた、当然の報いと見なした。私は精神がやられた。弱かった。得意の根性論でもがいてみたこともあった。でも力が入らなくなっていった。思い通りにいかない自分に価値が見いだせなくなった。生きている意味が分からなくなった。大袈裟だと言うかもしれない。そんなことで、と私の心が言う。背伸びをしないで身の丈に合ったことをやればいいと言う。でもそれは許せなかった。私には許せないことが多い。自分の考え方を変えないと上手く生きていけない、そう実感した。それでも幼少期に形成された根本的な性格を変えるのは難しかった。優越感から劣等感へは簡単に転がり落ちたのに。私はこれからどう生きるのか。それなりに暮らせる選択肢はあるだろう。でも私にはできない。我儘にも程がある。納得出来ない場所で我慢してやっていくことができない。もうこんな人間死んでしまえ。その思考が嫌いだ、奥底にこびりついた汚い期待が嫌いだ、溢れ出す劣等感が大っ嫌いだ